米軍基地の移設問題から見える無責任な国民像

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わが沖縄は米軍基地の県内移設に反対する県民で盛り上がっています。わが国は自分のとこに米軍基地が来るのを断固拒否する国民で溢れています。

国防を他人任せにしてきた国民の混乱が、主権者としての幼稚さを露呈

しています。日米安保に賛成なのか、米軍の日本駐留を認めるのか、自衛権の行使に武力を使うのか、自らうやむやにしてきた怠慢のツケ払いを私たちは今求められているのです。最終的には、米軍に守ってもらいたいけど国内に基地は置かせないのか、守ってもらわなくていいから日本から出てってくれと言うのか、あなたはどちらかを選ばなくてはなりません。総理の政治生命に関心を示すより、国防に対する国民の総意がどこにあるのかに関心を示してはどうでしょう?

国民が主権者として成熟していないのは、主権者という自覚がないからですが、それは主権者を育成してこなかった国民の失態です。政治家や文科省のせいだけではありません。最終責任者として、あなたは国の失態がもたらした不利益をすべて背負わなければなりません。

あなたは国から利益を得るために存在するのではなく、この国を運営していく一員として存在している

のです。利益や不利益はあなたの運営結果であり、国の被害者であるあなたは、同時に加害者であるという自覚を持つべきです。国防はその典型例です。

あなたは自分や家族の生命財産が他国から侵害されたときに、国民として国はどうすべきなのかを決めておかなければなりません。選択肢はたったの三つしかありません。1.米軍と自衛隊が応戦するのか、2.自衛隊だけで応戦するのか、3.自衛権を行使せずに侵害を甘受するのか、です。侵害後に米軍や国連に助けを求めるのは1~3のどれを選んでも選択できる事後策ですのでここでは議論しません。

ここまで解決できて、初めて米軍施設の移設先議論に参加できるのです。「国内であるべきだが沖縄ではない。国民全体で痛みを分け合うべきだ」なのか、「米軍は要らないから日本から撤退してもらうべきだ」なのか、「米軍は必要だが国内に置く必要はない」のか、これも三つしか選択肢はありません。ここからはご自由にどうぞ。でも、先の選択肢と矛盾しないようにご注意を。

しかし、現実は甘くはありません。国が「日米軍事同盟は不要になった。基地を国外に移転してもらう」という結論を出す可能性は皆無で、「国内だが県外に移転する」という選択肢も実現可能性は皆無です。つまり、基地は現状のままなのです。県内移転もありません。米国が自らの意思で移転するその日まで、基地は現在の場所にあり続けます。「県内に置くというなら今の場所でいい」という結論を県民が出したことと何の変わりもありません。それでいいのでしょうか?県外でなければ今の場所でホントにいいの?最悪の場合を考えてより被害の少ない場所を県民は選ばなくていいのでしょうか?自己主張が世論にならないのは常にあることであり、自己主張が通らなければ現状に甘んじるという選択もあり得ますが、ベターとはとても言えません。ベターではないという意見に反論もあるでしょうが、辺野古案が現状よりひどいとか変わらないという反論には論拠がありません。説得力のない反論は世論になりません。世論にならなければ国民の総意になりません。国民の総意でなければ政策になりません。少なくともそれが民主主義のルールです。ですから、県民が想定している最悪の決定になった場合にはどうするのでしょう?その場合の対策は準備できているのでしょうか?無策もひとつの選択です。そしてあなたがそれを選択するなら、当然選択した責任を負うことになります。このことを忘れないでください。

普天間の米軍施設問題が、結局解決されずに幕引きとなった場合、普天間飛行場の周辺住民に「こういう結果になって残念だ。すまないが当分辛抱してくれ」と言うことが沖縄県民に出来る精一杯のことでしょうか?そうではありません。国民全体でこの問題を解決できないのであれば、県民全体で解決できる範囲で問題解決を図るべきだと私は思います。だって、沖縄はユイマールの社会でしょ?

以下で関係図書を紹介しています。

沖縄の米軍基地



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