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「『神と対話』の神はホンモノ?」

「神は存在する前提での質問?」

「なるほど。じゃあ、神はいるの?」

「好きな方を選ぶしかない質問だね」

「好きな方を選べって、もしかして正解を知らないの?」

「僕は洗礼を受けたクリスチャンだし、カトリック系の幼稚園に通っていたので、神とは喧嘩友達。『いるよ』って当たり前のように言えるけど、『証明して』と言われたら無理」

「証明されていないので、神の話をこれ以上しても無意味ってこと?」

「無意味ではないよ。多くの人が神の存在を認めて生きてるから。神様に『助けて!』と祈ったことがあれば、存在を信じている証拠になる」

「そんな経験があっても、否定する人はいるでしょ?」

「神の存在が証明されたとしても、否定する人は減らないだろうね。否定から入るというのが多くの人の経験則だからね」

「僕まで否定すると話が前に進まないので、神がいることを前提にして質問するよ。『神との対話』の神はホンモノ?」

「少なくとも、ニセモノと断定できる証拠は無いよ」

「ホンモノと断定できる証拠がないんじゃないの?」

「ホンモノだと主張しているんだから、ニセモノだとわかる証拠をひとつだけ探した方が楽でしょ。ホンモノだとする証拠を探すなら、少なくとも現時点で神の証拠とされるものすべてに合致するということを証明しないといけなくなるからね」

「多くの人が神と認めるには多くの証拠が必要だし、証拠をたくさん集めるのが大変なのはよくわかったけど、たった一個の反証がどうして探せないの?」

「神ではないという証拠が何なのかを誰も知らないからだよ。英国の宗教哲学者スウィンバーンが、神が存在する証拠の方を探したという事実からも反証探しの困難さが窺(うかが)えるね」

「で、君の結論は?神ではないと否定できないから神はいるという結論なの?」

「反証が探せないからではなく、精神と魂の多重人格者として生きてるので、そして魂を神だと思ってるので、自分を神だと思っている。つまり、我在りゆえに神在りさ」

「宗教を冒とくしてないか?」

「人は神の子だと聖書にも書いてあるよ。人の子が人なら、神の子は神、単純な論理学でしょ」

「騙されてるような気がする」

「僕の言うことを信じるとあなたは騙されることになる。僕に騙す意思がなくてもね。『神との対話』の神も『わたしが言うことをひとことだって信じてはいけない。わたしが言うことを聞いて、それからあなたの心が真実だと告げることを信じなさい』(『神へ帰る』第6章61ページ)とご丁寧にクギを刺してるよ」

「とても当たり前のことをわざわざご忠告ありがとう。でも、自分以外のものに真実を確かめるのは普通のことでしょ」

「あなたの心が当てにならないと思うなら外に求めたらいいんじゃない。外に求めても当てにならない問題にはどう対処するかも準備した上でね」

「結局、自分で決めるしかないってことか。落ち込んできたので最後の質問。自分で結論を出すまでの間はとりあえずどうしたらいいの?」

「誤解を与えないように言葉にするのは難しいけど、あなたの心が答えを発表するまではニセモノ扱いにしてたら。でも、ホンモノだけどね」

「ますます混乱させていただいてありがとう…」

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