教育が日本を沈没させる日 2006.09.18
愛国心を押し付けるかどうかで揺れている新教育基本法ですが、最大の問題はそこではありません。映画で観た日本沈没のシーンが、教育によって現実になるような、そんな予感がするほど深刻な問題が新教育基本法にはあるのです。
「教育基本法の制定から半世紀以上が経ちました。その間、教育水準が向上し、生活が豊かになる一方で都市化や少子高齢化の進展などによって、教育を取り巻く環境は大きく変わりました。近年、子どものモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下などが指摘されており、若者の雇用問題なども深刻化しています。」(新教育基本法案説明資料から抜粋。以下同)
教育の現状はそのとおりだと思います。しかし、原因についての分析が不充分なため、対策にどの程度の現状打開効果があるのか疑問です。国は試行錯誤に終始しているように見えます。
国の迷走が、次の「教育改革のための重点行動計画」(平成18年1月17日)に基づく教育改革の取組みからも見て取れます。
「学習指導要領の見直しを進め、基礎・基本の確実な定着と学ぶ意欲の向上を図り、引き続き『確かな学力』の育成に努めます。
・小学校6年生・中学校3年生を対象とした全国的な学力調査を平成19年度に実施します。
・教員免許更新制度の検討や研修の充実、教員評価システムの改善に努めます。
・学校評価システムの構築を推進します。
・現在、都道府県が担っている教職員の人事権の中核市への移譲を検討します。
・子どもの基本的生活習慣の育成支援や地域における子どもの居場所づくりを進め、家庭・地域の教育力の向上を図ります。」と記述されていますが、緊急に解決すべきは「確かな学力」づくりなのでしょうか?
実は、緊急に解決すべき課題は、人的関係を上手に構築する術を教えながら、50年以上教育基本法第1条で目指してきた「人格の完成、国家・社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」です。この半世紀、国はあきらかに「国民の育成」に失敗してきました。国が失敗を認めないのなら、国家教育の限界と言い換えてもいいです。行政権の及ばない家庭や地域の責任を国が声高に主張するなら、国も限界を認めていることになります。
現状が、無視のできない程大きくなった成功の例外なのか、失敗として当然の結果なのかは、やがて誰の目にも明らかになります。他人との関わりを持たずに生きていく個人の脱社会化が急速に進んでいます。衣食が足りても礼節を教えず、むしろ怠惰を満喫させてきたため、対人関係の重要性や社会人として共有すべき社会的価値を見失わせています。それでもなお、緊急の課題は「確かな学力づくり」なのでしょうか?
第1条を最終目標として、さしあたり何を目標をするのかも法で定めています。教育の目標(第2条)と題された内容は、
「1.幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操、道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと
2.個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと
3.正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと
4.生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと
5.伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」
です。
前述の「教育改革のための重点行動計画」の記載項目のどれが、この目標のどれを実現できるのかを是非教えて欲しいものです。
学歴と仕事力は比例しない
という事実は、家庭や学校にはまだ浸透していないようですが、教育に国民としての資質を期待する家庭や学校は、果たしてどのくらいあるのでしょうか?
やがて、日本も衰退するでしょう。そのスピードは、日本を逃げ出す国民の数に比例していると思います。
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