人の死はすべて自殺である

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A:「神へ帰る」の第1章は、要約すれば「人の死はすべて自殺である」で間違いないよね。

B:間違いないよ。うれしいね、君が「神へ帰る」を読んでるなんて。

A:「10代のための神との対話」や「コミック版 神との対話」を読破するのも大変だったけど、「神へ帰る」は荒唐無稽、奇想天外、ハチャメチャ。それでも座右の本だと君が言うので読んではみたけど、最初から理解不能、意味くじピーマン。
(※意味くじピーマン=意味がさっぱりわからないのウチナーヤマトグチ)

B:どこが意味くじピーマンなのさ?

A:だって、どう考えても多くの人の死は自殺じゃないし。

B:自殺じゃないと思ってるのは君の精神だけで、君の肉体は自分が自殺に舵を切らなければ死ねないと知ってるよ。魂の関与については僕も経験中なので正確には説明できないけど、人が死を宣告されたときの精神の反応は、最終的には死の受容だから精神的にも自殺と表現して間違いないと僕は思う。

A:最終段階で精神が死を受け入れてるように見えるのは、茫然(ぼうぜん)自失で正常な判断能力を失うからじゃないの?

B:肉体が自殺へと向かっていることを精神が知ると、紆余曲折はあるけど最終的には精神も落ち着きを取り戻し、死への恐怖が薄れ感情的にも穏やかになるんだ。本人が自分の心境を語ることで周囲も知るわけだから、茫然自失の状態じゃないと思うよ。

A:それなら、どうして肉体は自殺するという論文とか出ないの?

B:肉体は自らを滅ぼすという表現での論文は巷に溢れてるよ。老化は滅びのプロセスだと考えられているけど、個人差が大きい理由もわかっていないくらいだから、自殺にいつ舵を切ったかなんて誰にもわからないよ。死という港が見えてようやく医師も本人も気づくというレベルでしかないんだね。

A:精神的には、死を受け入れるというより生きることを諦めるが正解じゃないの?それは自殺じゃないよね。

B:精神が積極的に死を望んだ状態で死んだ場合を自殺と定義するなら君の言うとおりだね。定義するメリットは議論の論点を共通化して共通した論点について共通の理解を得られることだから、死の受容を「生きることを諦めること」と定義しても大丈夫。共通の理解は得られるからね。

A:「木を見て森を見ない議論だね」と言ってるように聞こえるのは僕の被害妄想?んじゃあ、森の観点から議論を進めると、人が死を忌み嫌うのは全てを失うのが怖いからでしょ?だから、死の港が見えてきたら死ぬと観念するしかないんでしょ?そんな状態で生きることに集中するなんて不可能だよね。だから人は生きることを諦めるんでしょ?心が穏やかになるんじゃなくて。

B:死の受容で起こる精神的変化は、これまでの人生で得てきた結果や得ようと頑張ってきた結果にこだわって生きることを諦めることなんだよ。死を受容した人の体験は、自分の人生を振り返り、やり残したことを思い出すというパターンが一般的だけど、さすがにここまでくると多くの人は結果に興味が無くなるので自分の本音を知ることができ、本音だけで人生を歩み始めるから、魂はようやく精神や肉体と歩調を合わせられるという経験ができるんだ。精神がこれが本来の自分らしさだと感じられるのも、ようやく三位(さんみ)一体で人生を歩み始めるからだしね。だから、生きることに集中するのが不可能なのではなくて、むしろ人生で最も生きることに集中している時期だと断言するよ。また、この時期は人生で最も穏やかな心を得られる時期、最も自分に正直でいられる時期でもあるんだ。

A:全てを失うのに、人生最高の時期ですというのは納得いかないな。「結果を追い続ける」が多くの人の本音でしょ。望む結果をすべて得られてこそ最高の人生じゃないの?

B:明日巨大隕石が地球に衝突して全人類が滅びますという段階で、それでも追い続けている結果があるとすれば、確かにそれは本音から出たものだね。「アルマゲドン」のような映画を観れば、疑似体験で誰もが自分の本音に気づかされるから、自分が何を体験したくて生きてるのかがわかるよ。そして本音が求める結果は必ず得られる。体験に必要だからね。

A:映画で本音を確認か。確実な方法かもね。でも、結果が経験のための付属品みたいに聞こえたけど?

B:体験に満足すると、本音は別の体験を求めるから結果も次の結果がやってくる。そういう意味では、結果はただの付属品。結果同士が共存できるか否かは本音次第。そこで結果の維持が本音だと誤解すると人生は思い通りにならないという誤解もする。そういうときこそ本音を確認するときだね。明日までの命と仮定して考えればすぐに答えは出るけど、余命1日でも消えない本音と3ヶ月なら消えないという本音もあるから、後者の弱い本音が前者の強い本音と共存できる期間があれば結果はその期間だけ確実についてくる。真偽は経験値を積んで確認するしかないね。

A:結果は得られないばかりか死で完全に失うよね。そこまで理解できても、やはり本音で結果を追い求めてる人が多い気がするんだけど、なぜなんだろう?

B:君の場合は「楽に生きたい」が本音だからだね。なので、楽になるために楽じゃない生き方が先に来る。苦痛を知らないと楽もわからないからね。苦痛が先にどんどん来るので、苦痛から逃げ回るだけの刹那的な生き方をする人もいれば、富や名声や地位や愛などの結果が苦痛の痛み止めになると信じて追いかけ回す人もいる。これが君の「なぜ」に対する回答だね。でもね、「楽に生きたい」が本音の人々は、「明日死んでもいいや」と思った瞬間に楽な人生が始まるよ。本音の人生がね。

A:明日死んでもいいやと思える人生なんて、いつになったら来るんだよ?

B:どんなに遅くても、死の港が見える頃には来るよ。あなたの本音が実現するまでは死なないから安心して。

A:一生苦しめってか?

B:大丈夫。最悪の場合でも、臨終までには楽に生きる体験ができるよ。

A:死が最初で最後の楽園かよ?

B:死はただの次元移動だよ、多分。

A:なんで話しが俺の大嫌いな物理になってるのさ?

B:安心してください。僕は帰りますから。