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今回のタイトルは、ガリレオというドラマで主人公が口にする決め台詞だ。このタイトルが真理であれば、あなたが生まれてきた事象(= 現実の出来事)には必ず理由がある、という結論になる。で、その理由を自問自答すると、多くの人が
「さっぱりわからない」
と言って理由探しを放棄する。
「実に面白い」
とは言えない理由探しだからだ。余談だが、このサイトのサブタイトルである「人生の宿題」とは、まさにこの理由探しを意味している。

しかし、

自分の肉体や精神や、ましてや存在すら疑わしい魂の使い方なんぞに多くの人は興味がない。興味の対象は常に人生における結果だ。

そこで、今回は人が結果を追い求める理由にスポットを当てて、

自分を知ることが処世術の基本

であることを説明したい。

まず、人生の成功者、思い通りの人生、幸せなど、求めた結果が得られた自分を想像して欲しい。追い求めた結果を得られたあなたは次に何をするだろうか。

結果を得たら、次に結果を維持しようとするはずだ。

だが、これは

この世の法則である諸行無常に逆行する行為

だ。この法則は経験則で誰もが知っているが、人の対応は様々だ。現状を打開することで更なる結果を得ようとする者がいれば、結果が損なわれないよう腐心する者もいる。両者は真逆の方法を選択しているが、理由は同じである。それだけではない。追い求める結果が得られていない人、得た人、失った人それぞれの事象は異なるが、彼らを突き動かしている理由も同じだ。結果を得られぬ不安、得られた結果を失う不安である。

結果を求めるという事象は単純に不安が理由である

との結論が、多くの人に当てはまる。

ガリレオの主人公は、非論理的なものを嫌い、人間の感情には興味が無いようだが、

結果を求めて人が引き起こす事象は、不安という感情がその理由

であるから、

感情を論理的に構築できなければ、感情の源泉である自分を知ることが出来ない。

自分を知ることが出来なければ、本当に追い求めたい結果なのかを判断できない。

多くの人が出口の無い迷路でさまよっているのは、これが原因である。

またまた余談だが、非論理的の意味は理解できないという意味であって、論理を構築できないという意味ではない。「全ての事象には必ず理由がある」というなら、「すべての事象は必ず論理的に説明できる」ことが前提である。

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