「『神との対話』の神様って、信仰の対象ではなく便利屋さん的存在だよね」
「神に倣(なら)う者でなくても、神の造った『引き寄せの法則』をマスターできるという意味ではそうだね」
「そこで相談なんだけど、『引き寄せの法則』を何とかマスターして悠々自適に暮らしたいんだけど、どうしてうまくいかないんだろ?」
「思い、願望、欲求などを使って思い描く未来を現実にしようと誰もが四苦八苦してるけど、思い描く未来の現実化が本音じゃないと結果は出ない、という単純な法則だよ」
「また本音の話か。本音を知るのは実はかなり難しいんでしょ?」
「子供の頃はとても簡単だったのにね」
「どうして大人には難しいの?」
「ここでの本音とは、本音の根っこ、本音を生んだ根源のこと」
「例えば?」
「悠々自適に暮らしたいと思う原因、つまり何が不満で悠々自適な暮らしが欲しいのか、ってこと」
「なるほどね。僕の場合は貧乏な生活に不満だから、大金持ちになって貧乏から脱出したいが本音だね」
「貧乏から脱出できた自分をイメージできてる?」
「いや。必要なの?」
「引き寄せる現実は具体的、限定的な方がいいよ。これによって引き寄せる現実がイメージ通りになるから」
「結果的に金持ちになれればいいので、手段は何でもいいけど」
「映画のように引き寄せたい現実を具体的なストーリーでイメージしないと後悔するよ。手段がお任せだと、いつどこで脱出の物語が始まるのかわからないから、いつまでも貧乏のまま。大金持ちのイメージも具体的でなければ、給料が少し増えた程度で終わるかもよ。引き寄せていながら、引き寄せがうまくいかないと嘆く人があまりにも多い原因は、抱いている本音のアバウトさが原因」
「アバウトだと引き寄せがうまくいかないってこと?」
「アバウトな本音の範囲で、要望を満たした現実が引き寄せられるってこと。だから、『とにかく何でもいいから早くして』という本音を持ち続けた場合、自分が寝たきりになることで数千万円の保険金を得るという現実を引き寄せることだってあるからね。多くの人は手段はお任せが本音じゃないから、手段を選んで実行するまでは結果がついてこないというのも引き寄せのおかげ」
「引き寄せの仕組みはわかった気がするけど、引き寄せることが逆に恐ろしくなってきた」
「手段を問わないなら、結果を具体的にイメージすることで思い通りにすることができるし、手段を具体的にイメージできるなら、イメージ通りに実行することで思い通りの結果が得られる。この点は大人も子供も一緒。望んだ結果が得られないのは、違う結果のほうが本音だから。したがって、本音のイメージ化は手段も結果もしたほうが無難」
「手段や結果、特に結果とイメージが違う場合を減らすにはどうしたらいいの?」
「イメージが現実になるのは避けられない。問題は望んだ結果か否かだから、結果が望んだ通りじゃない場合には、イメージのアバウトさが原因、結果が来ない場合は、それが本音だから」
「自分の本音を確実に把握する方法ってあるの?」
「『貧乏だからお金が欲しい』という本音は、貧乏でお金を欲しがる自分を体験させてくれと言っているようなもの。引き寄せたい現実をイメージするとは、例えば『宝くじで6億円をゲットさせて』が本音なら、宝くじを手に入れれば、次に6億円が手に入る体験をすることになる。引き寄せるのは結果ではなく体験。結果は体験の一部にすぎない。だから何を体験したいかを本音にすれば、結果もイメージ通りに付いてくる」
「みんながその体験をしたいと本音で望んでも、多くの人が体験できないよね?」
「それも引き寄せの法則だよ。6億円の本数は限られている。多くの人が毎回本音、本気で6億円を取りに来てるとしたら、本気度という念の強さ、念力の持続性、疑いや不安の強弱など引き寄せの上手下手で勝負は決まる。期待してなかったのに当たってびっくりという人もいるけど、引き寄せをしているのは本音だけじゃないからここでの参考にはならない」
「何十年買い続けても当たらないって人も多いけど」
「当てるだけなら経験者は多い。それが6億円になると多くの人は半信半疑だ。確率まで確認する人は引き寄せることを諦めた人だ。宝くじで夢を買う人はすでに引き寄せが終わっている人だ。本音の抱き方で体験することが決まるから結果も決まる。子供は、宝くじを買っても、当てることではなく欲しい物を買って遊んでいる自分をイメージする。子供は引き寄せの天才だ。大人も6億円を当てて何をしたいのかをイメージする方が上手な引き寄せである場合が多いはず」
「成功する本音の抱き方が子供を真似ろということなんだろうけど、やっぱりよくわからない」
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