悟りとは何か?
この問いに対して、西片 義保氏(にしかた・ぎほう=前臨済宗妙心寺派管長。2006年没)は、
「悟り(サトリ)とは・・・差(サ)を取り(トリ)去ることだ」
とオジンギャグで答えられたそうだが、悟りのテクニックを簡単明瞭に言い当てた名言である。特に
対人関係で相手に対し最善を尽くしたいと思うのなら必須のテクニック
といえる。
差を取るとは、相手の気持ちと100%同じ気持ちになること
である。親身になって相談に乗るとは実はそういうことなのだ。相談だけではない。叱る場合も、商談でも、教え育てる場合もである。自分の意向やメリットや都合や感情を加味して相談に乗ったり、叱ったり、商談したり、教え育ててはいけないという意味だ。
難しすぎ・・・、そのとおり。でも、これができれば人間関係ノープロブレム。
何のメリットがあるのさ・・・、資本主義的なメリットは無い。でも、人生の様々な場面でメリットがある。インセンティブのある言い方をすれば、
自分の知恵と肉体の使用方法がわかるようになり、実践できるようになり、幸せな一生を歩める。
少なくとも自分の不幸とは確実におさらばできる。不幸と呼ぶに値しないと自覚できるようになるから。これは私の体験である。
しかし、差取りは悟りではない。あくまでも悟りを開くための手法だ。誤解を覚悟して言えば、
悟りとは自分の魂と自分の精神・肉体との差を取り除くことだ。あなたの精神と肉体があなたの魂と一体化して差がゼロになることなのだ。あなたが 魂と一緒に人生を歩むとき、あなたは悟りを開くことになる。それを教えてくれたのがこの本だ。でも、差を取るなんて表現はまったく出てこないので、熟読、整理、納得を繰り返さないとただの健康本で終わってしまう。平易な表現で理解しやすい工夫に主眼を置いたため、奥深さは自分で引き出すしかない一冊でもある。45年のロングセラーというのもうなずける。 |
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