死後の世界が有ろうが無かろうが、あなたが何のために生きていようが、

人生の終わりが死であることは事実

である。

多くの人が得ようと人生の大半を費やしているお金、美貌、健康や物とも永遠におさらばとなる。

それでも、

煩悩を満たせる毎日であれば幸せだから全然OKかもしれないが、それでは煩悩が少なくなった老人と同じ人生だ。

それを「余生」という。

自己実現にまい進しているので余生ではないと憤慨される方々にも、自己記録更新の人生に何のメリットがあるのかを考えて欲しい。

死が無に帰すことなら、存在しなかったに等しいあなたも、あなたの人生も、人生の目的も無意味ではないのか?

地球に一時期存在していたという事実だけで良しとするなら、まさに人は死ぬために生きたことになる。

そんなはずはない?

なら考えることだ。死ぬためではない生き方を。やさしいヒントは探したが無かった。でも、あえてヒントを出そう。混乱してくれ。

お題の意味は、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」に近い。

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